4月から三女とともに受講させていただいている手話奉仕員養成講座。
先日10回目の講義は、 「聴覚障害者の生活」についてでした。
この日は、ろう者のかた、そして手話通訳者の方々が、それぞれお2人ずつお越しくださり、
いつもご指導くださる先生からの質問に答える形で講義をして下さりました。
47年間、天理市聴覚言語障害者福祉協会の会長として、尽力なさったかたとその弟さんから、
子供のころのこと、社会人になってからのことなど、いろいろなお話をお聞かせいただきました。
とても印象に残ったのは、
子供のころ学校では、 社会に出て困らないようにするために、
「 聞こえる人のようになりなさい。」 との目的で、 手話が禁止されていたそうです。
学校では手話を使える先生はおらず、授業は音声で行われ、
相手の口の形を読み取る練習、
顔の前にうすい紙をおいて、息の出方を声確かめながら、
声を出す練習をしていたそうです。
月に一度、校長先生のお話を口の動きから読み取り、
書き出す試験が何年間も続いたそうですが、毎回ゼロ点だったとおっしゃっておられました。
学校で、手話で話すことは禁止されていたので、 先生の目のないところでは、
先輩から後輩へ、手話が受け継がれてきたそうです。
しかも、いまだにまだ政府は、
手話で授業をするようにとの指示をまだはっきりとは示していないということ。
聴覚障害のある方々のご苦労と並々ならぬ努力の結果、
今ようやく、少しずつ、生活環境が改善されてきたそうです。
少しでも手話を学ぼうと思ってくださるかたが増えてきて
ありがたいとおっしゃってくださっていました。
「手話は言語である」とはっきりと明記され制定された、
天理市の手話言語条例を知ることができて良かったです。
何の役にも立てない私ですが、一つでも二つでも手話を覚えていきたいと思いました。
天理市HP
みんなの手話言語条例
http://www.city.tenri.nara.jp/kakuka/kenkoufukushibu/shakaifukushika/1490943996129.html